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12月 27, 2009 - Bobby    No Comments

ボビーとのお別れ

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ボビーとのお別れのときが近づいていました。

だんだんやせて元気がなくなっていき、医者に見せても有効な手を打てませんでした。

ボビーの最後の日は、いつものように家の中で、お手伝いのおばさんと、母の帰りを待っていました。

ボビーは母の車の音を聞き分けて、庭に迎えに出るのが常でした。

でも、その日は車の音を聞いて、一生懸命立ち上がろうとするのだけれども、もう立ち上がれない。

母が家の中に入ってくるときには、息絶えていました。

母とお手伝いのおばさんは、ボビーを前にしてしばらく泣いていたそうです。

そのときのことを私は電話口で泣いている母から聞きました。

母はボビーにあげていたご飯が悪かったのではないか、と後々まで気にしていました。

私は、そんなことはない、ボビーは幸せな一生だった、と何回も説得しましたが、それは私の本心からの気持ちでした。

母は犬の権威の平岩米吉さんのところまで出かけていって、話をしたり、獣医に死因を教えてくれと詰め寄ったり、ボビーの死を受け入れるまでに長い時間がかかりました。

それ以来、実家で犬を飼うことはありませんでした。(猫は何回か飼いましたが)

もう30年近く経ちますが、玄関には、最近まで、ボビーの大きな写真が飾られていました。

いまでもボビーが毎日駆け回っていた実家の庭に、ボビーは眠っています。

ボビー、たくさんの思い出をありがとう!

12月 27, 2009 - Bobby    No Comments

愛想のいいボビー

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ボビーは、他の犬、そして猫に対してまでも、とても愛想がよかったです。

尻尾をふって一緒に遊ぼうとしました。

私は、猫も好きだったので、ときどき近所の猫を捕まえては、ボビーと一緒に遊ばせようと、
猫を抱いてボビーのそばまで持っていきました。

ボビーは尻尾を振って遊ぼうとするのですが、
たいていの場合、猫は「シャーッ」と威嚇し、ボビーの鼻にするどい一撃を加える、という結果になりました。

それでもボビーは懲りずに猫に対しても、愛想のいい態度をとり続けました。

そもそも。母が、ボビーをもらいに行ったとき、子犬が何匹かいたのですが、
ボビーが真っ先に、母を迎えに出た、ということです。

それで、ボビーをもらってくることになったのですが・・・。

社交的で愛想のいいのは、生まれつきだったようです。

12月 27, 2009 - Bobby    No Comments

海へ行ったボビー

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私が大学に行くために上京する日、2階の自分の部屋で荷造りをしていると、階下でボビーが猛烈に吼えていました。
雰囲気から、私が行ってしまうことを察知したようです。

お別れの挨拶をしようとしても、怒って吼えるばかりで、体に触らせない。

私が出て行くまで吼えていましたが、当時の私は、新しい生活のことで頭が一杯で、ボビーのことを思いやるゆとりがなかったように記憶しています。

夏になって休暇で帰省したときのボビーの喜びようといったら!

今度はうれしくて吼えるんですね。尻尾を千切れるように振って、体をこすり付けてきます。

またボビーとの散歩が復活です。

夏の終わり頃、母親とボビーと、もう人気のない海岸へ行きました。

これは本当にいい思い出です。

最初、ボビーはリードをつけずに広いところで放されて、どうしていいか分からない様子でした。

でもすぐに、流木に集まっているカラスの群れを追いかけたり、周りを嗅ぎまわったり、遊び始めました。

日が傾いて帰る頃には、ボビーはすっかり海が気に入って、私たちがつれて帰ろうとしても、逃げ回って、なかなか帰ろうとしませんでした。

写真を見ていると、あの頃の光景が目に浮かびます。

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ボビーと音楽

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ボビーは音楽を理解していたと思います。

昔読んだ「鉄腕アトム」の中で、ケンイチのハーモニカに飼い犬までがうっとりする場面があります。

アトムはそれが理解できずに悩むのですが・・・。

ボビーが小さい頃、デイブ・グルーシンの音楽に眠ってしまうことは、前に書きましたが、ステレオの向かいのソファーに寝そべって、音楽を聴いていました。

僕とボビーの共通のお気に入りは、ピーター・ガブリエル在籍当時のジェネシスのシネマショウの、トニー・バンクスのキーボード・ソロでした。

時に悲しげに、時に楽しげに、まさに映画を見ているような美しいキーボードです。

ボビーは耳を立て、気持ちよさそうに寝そべっていました。

ただボビーはハードロックは苦手でした。

弟が、KISSやエアロスミスを鳴らすと、逃げ出しました。

当時、LPレコードからカセットに録音することを、よくやっていたのですが、どういうわけか、ボビーの鳴き声が、テープに入ってしまい、悩まされた記憶があります。

多分レコード・プレーヤーの針から、ボビーの声が入ったのだと思いますが・・・。

12月 27, 2009 - Bobby    No Comments

ボビーと言葉

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ボビーが理解していた言葉はいくつかありましたが、「ボビ」「ごはん」「散歩」、特に「散歩」には敏感に反応しました。

「さん」や「ぽ」だけですと、頭がよじれるくらい首をかしげて、「なんのことだったかなあ」という顔をします。

これが面白くて、僕や弟は、「さん」とか「ぽ」とかいって、よくボビーをからかったものです。

朝の散歩は、父親が、夜の散歩は、僕と弟が交代で行きました。

月が煌々と輝いた冬の夜、ボビーを連れて田舎道を全力で走った光景は未だに夢に出てきます。

こちらが全力で走っても、ボビーのほうは悠々と、たったっと走ってくるのです。

毎回のように、もっと散歩するんだと、帰るのを渋ったボビーは僕を困らせました。

帰ると、足を洗って家の中に入れるのは、母親の役目でした。

それでも母親に一番なついていたと思います。

よく、犬は自分の地位を、一番下の子のひとつ上だと思っている、と聞いたことがあります。

ボビーは弟の1つ上だと思っていたのでしょうか。

みんなボビーに愛情を注ぎましたし、ボビーもそれに答えました。

12月 27, 2009 - Bobby    No Comments

ボビーの食事

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はじめは缶詰をあげていたのですが、そのうち、骨付きの鳥を煮てあげるようになりました。

食事の時間は人間と同時に始まるのですが、ボビーは台所で自分のご飯を大急ぎで食べると、
人間たちが食事しているところにやってきて、長い鼻で私たちを小突いて、

「どうして、あなたたちばっかり、おいしいものを食べてるの?」という感じで、
同じものを要求します。

そしていつも、人間の食べ物にありつくのでした。

ボビーの変わった好みに、みかんがありました。

冬、私たちがみかんをたべていると必ずやってきて、みかんをくれるのを待っています。
皮をむいて、みかんの一切れを、あげると殆どかまずに飲み込んでしまいます。

あれでは味は分からなかったと思うのですが、口からよだれを流して、欲しがりました。

ボビーの体がビタミンを要求していたのかもしれません。

今のように良質のドッグフードがない時代、両親もボビーの食事の用意は大変だったようです。

12月 27, 2009 - Bobby    No Comments

ボビーが来た日

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今回から数回にわたって、ボビーの思い出の写真をお送りします。
[このコンテンツは、別の写真ブログに3年前に掲載したものですが、そのブログを閉鎖することになり、消滅してしまうのが寂しくて、再掲載するものです。]

ボビーは家で飼った2度目のコリー犬でした。最初のコリー犬もボビーという名前でしたが、当時TVで放映されていた、「名犬ラッシー」の影響だったと思います。

当初、家の中に入れるつもりはなかったのですが、一人で外につながれるのがよほど寂しかったのか、家に入れてやるまで、鳴いていました。

根負けして、玄関の中でリードでつないでおくと、それでも鳴く。

自分を人間だと思っていて、みんなと一緒にいたいという感じでした。

それで、音楽を聴かせたらどうかということになり、玄関にテープレコーダーを持っていって、ディヴ・グルーシンのサントラ、「レーサー」のテーマを聴かせました。

すると、次第にうつらうつらとして、立っていられなくなり、座り込んで寝てしまうのです!

でも結局、リードを外して、家の中で飼うことになりました。