Archive from 2月, 2004
2月 27, 2004 - 言葉    No Comments

自分の心

自分の心は自分でコントロールできる。
そう信じたい。
HAPPYもSADも気の持ちよう。
理屈はわかる。
でも簡単には行かない悲しさ。

2月 26, 2004 - 言葉    No Comments

目に涙を

「目に涙を浮かべていたら、
未来がよく見えない」
モホーク族の言い伝え
「まずは、私たちの心から、すべての否定的な考えを取り除いてください。
私たちの心が一つになれるように・・・・・・」
チェロキーの祈り

2月 25, 2004 -    No Comments

いろいろな情報が

今日は朝6時半に、隣の奥さんに起こされました。ベランダから、ごみの集積所で白いものが動くのが見えたとのこと。
寝巻きのまま急いでいきましたが、もう影も形もありませんでした。
続いて、ごみ処理施設への電話で、私の近くで死んだ猫を回収したと言う情報があり、電話での対応では埒が明かないので、タクシーに乗って流山市クリーンセンターまで行ってきました。
対応された方は親切でした。焼却を待ってくれていて、箱に入った猫をトラックで事務所の前まで運んできてくれました。
ほとんど恐怖で緊張して箱を開けました。フーちゃんではありませんでした。黒い綺麗な猫で白い靴下を履いていました。目を開けて眠っているようでした。箱の中には黄色い花が一緒に入っていました。
それを見たとき、思わず涙を流してしまいました。安心したのと、きちんと葬ってやれない哀れな黒猫のためでもありました。
お礼を言って帰ってきましたが、4時過ぎに今度は小学生の女の子から電話があり、朝、学校のプールサイドで見かけたとのこと。
早速、学校に電話すると、教頭先生が会議中で、折り返し電話するとのこと。結局5時過ぎに学校へ行って、プールの近くを見せてもらいました。
フーちゃんの名前を呼びながら周りや隣の駐車場の車の下とかを見ていきましたが、確認できず。
Eさん、ありがとう。君は電柱のポスターの電話番号を、わざわざ控えて、家から電話してくれたんだね。おじさんはうれしかったよ。
絶望と希望の間を行ったりきたりした1日でした。

2月 24, 2004 -    No Comments

特別な・・・

フーちゃんがいなくなって1週間もたたないのに、体重が2K減りました。
昨日の目撃情報はどうやら違う猫だった模様です。
所沢の半ノラだったフーちゃんが柏のマンションに連れてこられたのが、2000年の5月7日の日曜日。
流山の1軒家に引っ越したのが2000年8月。
失踪したのが2004年2月18日水曜日、計1382日間、一緒にすごしました。
お別れを言えなかったことが悔やまれます。
まだわずかな希望にすがっている毎日ではありますが。
「一匹として、
ありきたりのネコなどいない。」
コレット

2月 23, 2004 -    No Comments

少し期待

土日とフーちゃんの情報は入りませんでしたが、ポスター貼りを続けました。
今日の夜9時ころ、犬の散歩をしている人の携帯から電話があり、似ている猫を見かけたと言います。
期待に胸が膨らみました。
その場所が、家から2件隣のアパートとは!
さっそく出かけて、名前を呼びながら探しましたが見つけられず、通報してくれた方に電話すると、現場まで来てくれました。
若いお兄さんだったのですが、親切に一緒に探すと言ってくれましたが、暗いので今日は断念。
明日、もう一度探します。猫違いの可能性も捨て切れませんが、少し希望がわいてきました。

2月 20, 2004 -    No Comments

気を紛らわせる方法

フーちゃんがいなくなって2日目。最初の日はほとんど眠れなかったのですが、今日はまあまあです。
(メラトニンをたくさん飲んでベッドに入っています)
今日も、朝の日課で、清掃局と、環境サービス事務所、道路サービス、
動物愛護センターに問い合わせをしました。
近くの2つの動物病院にも連絡を入れました。
それから、昨日作った「迷い猫」のポスターを貼ってきました。
50枚全部は貼れなかったですが、明日また貼ります。
近くの掲示板にも、頼んで貼ってもらいました。
もし帰ってこなくても、いつか、これがフーちゃんの運命だったんだって、受け入れることが
できる日が来ると思います。
私と暮らした3年がフーちゃんにとって、幸せなもので
あったことを願っています。
でもお別れは早すぎます。10年早い!
今日は少し気を紛らわせる方法を発見しました。
一生懸命、仕事をすることです。もうこれしかない。
小さな仕事が入っているので、没頭しています。
その間だけ、フーちゃんのことを忘れられます。

2月 19, 2004 -    No Comments

帰らないフーちゃん

昨日のお昼からフーちゃんが行方不明です。もう30時間以上たちます。いまにいつものようにドタドタと帰ってくるのではないかと待っているのですが、その気配はありません。
時間がたつにしたがって、帰ってくる確率が減ってゆきます。家の周りも何度も見回りました。市役所・保健所・清掃局・動物愛護団体、思いつくところに片っ端から電話を入れました。
今のところ手がかりはありません。
いなくなって初めてフーちゃんの存在の大きさに気がつきました。もう膝の上でのどを鳴らすこともありません。PCのディスプレイの前に座り込んでしまうこともありません。夜中に、おなかがすいたと起こしにくることもありません。いつものクッションの上で愛らしく眠っている姿はもう見ることができません。
3年以上にわたって築いてきた信頼関係。「さよなら」をいうこともできないまま、フーちゃんは行ってしまいました。
昨日はほとんど眠れませんでしたが、唯一の希望は、電話番号の書いてある首輪をしているということです。
フーちゃん、戻ってきて。フーちゃんのためだったら僕は何だってするよ。ドアはいつも開けてあるからね。

2月 17, 2004 - ソフトウェア    No Comments

サンプル

実はこのところ、仕事用のホームページに載せるサンプルプログラムを作っていました。たいしたものではないのですが、以前PHPで作ったショッピングカートを、そのままJSP/Servletでインプリしたものです。
さび付きかけているJAVAの勉強になりました。未だにどうしてもオブジェクトの破棄が気になって仕方がないのです。生成と破棄は、右括弧と左括弧のようなものという感覚があります。
それから今回は、FORMから入力した日本語をUnicodeに変換するところで問題です。テンアートニの「JavaプログラミングFAQ」はなかなかいい本だと思うのですが、そこにはJISAutoDetectを指定するように書いてあります。
今回、あるケースでどうしてもうまく変換できない場合があって、調べていくと、短い文字列の場合は誤変換があるので、JISAutoDetectは使わないように、とのこと。EUC-JPで無事、解決しました。
この場合、書籍が間違っていて、ネットの情報が正しかったのですが、こうやって少しづつスキルアップしていくのでしょうね、そう信じたいです。

2月 16, 2004 - 言葉    No Comments

確率

「飛行機に一個の爆弾がしかけられている確率は100万分の一。
二個しかけられている確率となれば、100万分の一の100万分の一。
こんど飛行機に乗るときは、『当たり』の確率を小さくするために、
あなた自身が爆弾を一個抱えていくことです!」
ベニー・ヒル(イギリスのコメディアン)

2月 13, 2004 - お仕事    No Comments

ソフトウェアの単価

今月の「SOHO domain」の特集は「価格大研究」です。この記事の中で、いいニュースが3つありました。ひとつはソフト開発の単価。月にすると、30万から120万で平均は60万。月160時間とすると、3750円/月となります。これは私の平均よりかなり高め。もっと値上げしていいと言うことでしょうか?
二つ目は、年齢の壁。求人情報で年齢ではねられることがおおいですが、田無市の重松寿さん(ソフト・システム開発)は56歳で年商3000万を達成している(人員3人)。ご自分でコードを書いているかは不明ですが、勇気付けられます。
三つ目は、地方の壁。新潟県上越市の梅山英行さんはデータベース・WEBシステム構築で年商500万をあげています。私もいずれ郷里の新潟に帰らなければいけないと思うので、新潟でもSOHOはできることを証明してくれましたことは非常にうれしいです。
単価の話に戻ると、重松さんは、この10年、単価は5000円/時間だそうです。一方でCGIを作っている木村さんは2000年当初800円/時間だったそうですが、それが2002年に2500円になり、現在は3500~4000円/時間だそうです。
そういえば、先日見積もりを作って、価格が折り合わずお断りした会社は、CGIの改造を、2週間、メールのやり取りをして、サンプルプログラムを作って見せた後で、1日でできるだろうから1万円でやってくれと言ってましたっけ・・・。
ちなみにCGIとWEB製作をしている木村さんは群馬県太田市のSOHOで年商950万だとか。他人のことですがうれしくなりますね。

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