

「途中でいろいろあっても、ゴールは一つ」
随分とご無沙汰してしまいました。近況です。
昨年7月、両親のいる新潟の実家に戻りました。
戻ってみて、やはり僕はここの人間だ、と強く感じました。
首都圏へ出て行ったことに後悔はないけれど、ここに留まっていたら、もっと普通の人生だったかもしれません。でも、ここに留まったとしても、やはり後悔はしなかっただろうと思います。結局、その時々、自分がベストと思う選択をしていくしかありません。二者択一を迫られた時、どちらを選んでも後悔する結果になるのか、あるいはその正反対なのか。要は正解などないのです。
こちらで、素晴らしい人たちに、出会いました。いろいろな制約の中で、皆さん、本当に頑張っておられる。僕も、ほんの少しでも、その志を後世に伝えるお手伝いができれば、と思います。
不思議なことに、首都圏で孤立していた僕も、こちらに戻って、するすると人脈ができていきます。皆さん、本当に暖かい。
ここでは、道に唾を吐く人などいないし、正直者が馬鹿を見るようなことはありえないのです。
若い友人が、「性善説は、人間は本来、よい心を持っているという意味ではなく、世の中は、善意の人たちによって動いていく、ということだ」と言っていました。ここへ戻って、そのことを実感します。
グローバリゼーションに対抗できるのは、国家ではなく、地方です。グローバリゼーションは、国境がなくなることですから、国家は中心ではなくなるのです。
まだ、オセロの盤面は、全部黒にはなっていません。ゲームは終了していないのです。
まだ、ここでやれることがある、と。
さて、お次はフーちゃんですが・・・。
3年前の5月には、フーちゃんが虹の橋に旅立ちました。よく僕みたいな人間の相手をしてくれたと、感謝しています。
今は、グーちゃん、ウーちゃんの兄妹猫と一緒です。彼らは柏の葉公園の譲渡会で、里親になりました。今度飼うときには、絶対に兄妹2匹にしようと決めていました。
譲渡会では3匹兄妹だったのですが、一番上の猫ちゃんはとっても人懐っこくて、この子は僕が貰わなくとも、誰かが里親になるだろうと、残りの2匹に決めました。ウーちゃんなどは、ケージの中で毛布をかぶって、一度も姿を見せませんでした。
里親になると決めた後で、保護団体の方が、「顔を見ますか?」といって、毛布をめくってくれましたが、それを見て「君、可愛いなあ!」と言ってしまいました。グーちゃんは、とても賢い「液状化猫」、ウーちゃんは、能天気な「弾丸娘」です。
機会があれば、これまでの諸々を報告したいと思います。
タイトルは、井上靖の自伝的な「わが母の記」の映画化の一場面です。