

ベートーヴェンの生涯
ロマン・ロラン
片山敏彦訳
「今の時代にとって必要なのは、けちな狡い卑怯な乞食根性を人間の魂から払い落とすような剛毅な精神の人々である」
「悩みを突き抜けて歓喜に至れ!」
ロマン・ロラン
片山敏彦訳
「今の時代にとって必要なのは、けちな狡い卑怯な乞食根性を人間の魂から払い落とすような剛毅な精神の人々である」
「悩みを突き抜けて歓喜に至れ!」
1日に三条へ帰省。恒例の白鳥を見に行ってきました。
かなりの吹雪で、他には誰もいず、白鳥たちはおなかをすかせていたようです。
食パンを上げたのですが、焼け石に水状態でした。
今年公開されたディズニーのアニメです。今月DVD化されました。
ストーリーを聞いただけで涙が出てくるほどだったので、早速DVDを購入して視聴しました。
魅力的なキャラクターと秀逸なシナリオで感動的な作品に仕上がっています。
冒頭のSFチックな戦闘シーンで一気に引きつけて、突然、現実世界に直面します。
まずCGとは思えない、幼さが残るボルトの仕草や表情がホントにかわいらしい。女の子のペニーが素顔でボルトと一緒の場面は心和みます。
笑って泣いてはらはらして、そしてディズニーお約束のハッピーエンド。
空想の世界でヒーローだったボルトは、一度現実世界で挫折し、ペニーを助けたい一心で、力を振り絞って現実世界でも再びヒーローとなることができることを学びます。
ボルトが現実の世界に直面して苦しむ場面は、トイ・ストーリーのバズを思い起こされました。(I will go sailing no more は感動的でしたね)
またボルトの首輪につけられたタグに日本語で「ボルト」と書いてあったのにはびっくりしました。
一つだけDVDで文句をつけたいのは、本編の前に、別の作品のブルーレイのCMがながながと流されることでしょうか?あとは歌の部分が日本語の歌に差し替えられていたことですね。
それらを考慮したとしても一押しのDVDです。
ボビーとのお別れのときが近づいていました。
だんだんやせて元気がなくなっていき、医者に見せても有効な手を打てませんでした。
ボビーの最後の日は、いつものように家の中で、お手伝いのおばさんと、母の帰りを待っていました。
ボビーは母の車の音を聞き分けて、庭に迎えに出るのが常でした。
でも、その日は車の音を聞いて、一生懸命立ち上がろうとするのだけれども、もう立ち上がれない。
母が家の中に入ってくるときには、息絶えていました。
母とお手伝いのおばさんは、ボビーを前にしてしばらく泣いていたそうです。
そのときのことを私は電話口で泣いている母から聞きました。
母はボビーにあげていたご飯が悪かったのではないか、と後々まで気にしていました。
私は、そんなことはない、ボビーは幸せな一生だった、と何回も説得しましたが、それは私の本心からの気持ちでした。
母は犬の権威の平岩米吉さんのところまで出かけていって、話をしたり、獣医に死因を教えてくれと詰め寄ったり、ボビーの死を受け入れるまでに長い時間がかかりました。
それ以来、実家で犬を飼うことはありませんでした。(猫は何回か飼いましたが)
もう30年近く経ちますが、玄関には、最近まで、ボビーの大きな写真が飾られていました。
いまでもボビーが毎日駆け回っていた実家の庭に、ボビーは眠っています。
ボビー、たくさんの思い出をありがとう!
ボビーは、他の犬、そして猫に対してまでも、とても愛想がよかったです。
尻尾をふって一緒に遊ぼうとしました。
私は、猫も好きだったので、ときどき近所の猫を捕まえては、ボビーと一緒に遊ばせようと、
猫を抱いてボビーのそばまで持っていきました。
ボビーは尻尾を振って遊ぼうとするのですが、
たいていの場合、猫は「シャーッ」と威嚇し、ボビーの鼻にするどい一撃を加える、という結果になりました。
それでもボビーは懲りずに猫に対しても、愛想のいい態度をとり続けました。
そもそも。母が、ボビーをもらいに行ったとき、子犬が何匹かいたのですが、
ボビーが真っ先に、母を迎えに出た、ということです。
それで、ボビーをもらってくることになったのですが・・・。
社交的で愛想のいいのは、生まれつきだったようです。
私が大学に行くために上京する日、2階の自分の部屋で荷造りをしていると、階下でボビーが猛烈に吼えていました。
雰囲気から、私が行ってしまうことを察知したようです。
お別れの挨拶をしようとしても、怒って吼えるばかりで、体に触らせない。
私が出て行くまで吼えていましたが、当時の私は、新しい生活のことで頭が一杯で、ボビーのことを思いやるゆとりがなかったように記憶しています。
夏になって休暇で帰省したときのボビーの喜びようといったら!
今度はうれしくて吼えるんですね。尻尾を千切れるように振って、体をこすり付けてきます。
またボビーとの散歩が復活です。
夏の終わり頃、母親とボビーと、もう人気のない海岸へ行きました。
これは本当にいい思い出です。
最初、ボビーはリードをつけずに広いところで放されて、どうしていいか分からない様子でした。
でもすぐに、流木に集まっているカラスの群れを追いかけたり、周りを嗅ぎまわったり、遊び始めました。
日が傾いて帰る頃には、ボビーはすっかり海が気に入って、私たちがつれて帰ろうとしても、逃げ回って、なかなか帰ろうとしませんでした。
写真を見ていると、あの頃の光景が目に浮かびます。
ボビーは音楽を理解していたと思います。
昔読んだ「鉄腕アトム」の中で、ケンイチのハーモニカに飼い犬までがうっとりする場面があります。
アトムはそれが理解できずに悩むのですが・・・。
ボビーが小さい頃、デイブ・グルーシンの音楽に眠ってしまうことは、前に書きましたが、ステレオの向かいのソファーに寝そべって、音楽を聴いていました。
僕とボビーの共通のお気に入りは、ピーター・ガブリエル在籍当時のジェネシスのシネマショウの、トニー・バンクスのキーボード・ソロでした。
時に悲しげに、時に楽しげに、まさに映画を見ているような美しいキーボードです。
ボビーは耳を立て、気持ちよさそうに寝そべっていました。
ただボビーはハードロックは苦手でした。
弟が、KISSやエアロスミスを鳴らすと、逃げ出しました。
当時、LPレコードからカセットに録音することを、よくやっていたのですが、どういうわけか、ボビーの鳴き声が、テープに入ってしまい、悩まされた記憶があります。
多分レコード・プレーヤーの針から、ボビーの声が入ったのだと思いますが・・・。
ボビーが理解していた言葉はいくつかありましたが、「ボビ」「ごはん」「散歩」、特に「散歩」には敏感に反応しました。
「さん」や「ぽ」だけですと、頭がよじれるくらい首をかしげて、「なんのことだったかなあ」という顔をします。
これが面白くて、僕や弟は、「さん」とか「ぽ」とかいって、よくボビーをからかったものです。
朝の散歩は、父親が、夜の散歩は、僕と弟が交代で行きました。
月が煌々と輝いた冬の夜、ボビーを連れて田舎道を全力で走った光景は未だに夢に出てきます。
こちらが全力で走っても、ボビーのほうは悠々と、たったっと走ってくるのです。
毎回のように、もっと散歩するんだと、帰るのを渋ったボビーは僕を困らせました。
帰ると、足を洗って家の中に入れるのは、母親の役目でした。
それでも母親に一番なついていたと思います。
よく、犬は自分の地位を、一番下の子のひとつ上だと思っている、と聞いたことがあります。
ボビーは弟の1つ上だと思っていたのでしょうか。
みんなボビーに愛情を注ぎましたし、ボビーもそれに答えました。
はじめは缶詰をあげていたのですが、そのうち、骨付きの鳥を煮てあげるようになりました。
食事の時間は人間と同時に始まるのですが、ボビーは台所で自分のご飯を大急ぎで食べると、
人間たちが食事しているところにやってきて、長い鼻で私たちを小突いて、
「どうして、あなたたちばっかり、おいしいものを食べてるの?」という感じで、
同じものを要求します。
そしていつも、人間の食べ物にありつくのでした。
ボビーの変わった好みに、みかんがありました。
冬、私たちがみかんをたべていると必ずやってきて、みかんをくれるのを待っています。
皮をむいて、みかんの一切れを、あげると殆どかまずに飲み込んでしまいます。
あれでは味は分からなかったと思うのですが、口からよだれを流して、欲しがりました。
ボビーの体がビタミンを要求していたのかもしれません。
今のように良質のドッグフードがない時代、両親もボビーの食事の用意は大変だったようです。
今回から数回にわたって、ボビーの思い出の写真をお送りします。
[このコンテンツは、別の写真ブログに3年前に掲載したものですが、そのブログを閉鎖することになり、消滅してしまうのが寂しくて、再掲載するものです。]
ボビーは家で飼った2度目のコリー犬でした。最初のコリー犬もボビーという名前でしたが、当時TVで放映されていた、「名犬ラッシー」の影響だったと思います。
当初、家の中に入れるつもりはなかったのですが、一人で外につながれるのがよほど寂しかったのか、家に入れてやるまで、鳴いていました。
根負けして、玄関の中でリードでつないでおくと、それでも鳴く。
自分を人間だと思っていて、みんなと一緒にいたいという感じでした。
それで、音楽を聴かせたらどうかということになり、玄関にテープレコーダーを持っていって、ディヴ・グルーシンのサントラ、「レーサー」のテーマを聴かせました。
すると、次第にうつらうつらとして、立っていられなくなり、座り込んで寝てしまうのです!
でも結局、リードを外して、家の中で飼うことになりました。